高1の二男の進路が揺らいでいる
❝黙って見守る❞親の愛 ~小川健次の子育てセミナー⑩~
日常の快感覚を言葉に ・・・苫小牧民報/千歳民報 2016年1月14日(木)掲載
わが子の悪さ 本気で叱る?
私が通った小学校は5年生のとき、校長と全校生徒がわずか15名でした。
ある真夏の午後。グラウンドの草取りの最中、フッとイタヅラ心が湧き起こり、Aくんを誘って集団から抜け出し、すべての自転車のタイヤから半分くらい空気を抜いて回りました。
下校時、女生徒が「アッ、タイヤの空気が抜けている。これじゃ、乗って帰れない!」と言いました。次々に驚きと困惑の声が上がり、大騒動に。しかも、学校には空気入れがなかったのです。
「原因は分からないが、今日は押して帰りなさい」と校長。一件落着したかに思えた時、「ボク、犯人を知っています」と、背後から男子の声。ドキッとして振り返ると、何と私の1歳ちがいの弟! ことのすべてを皆の前で暴露されてしまったのです。私たちは職員室に残され、校長から説教を受けることになったのです。
“黙って見守る”親の愛
当時、東京で“吉展(よしのぶ)ちゃん誘拐事件”が発生し、吉展ちゃんは殺害されたのでした。校長自らお茶を入れてくれ、その事件の真相を静かな口調で語ってくれたのです。私たちの悪さを一言も責めることなく、人の生命の尊さを延々と2時間にもわたって。
2人が改心して学校を去るとき、辺りはもう薄暗くなっていました。帰宅した私に母は、「全く、お前はなんて事をしたの! 村の人にどんな顔をすればいいの!」と烈火のごとく怒りました。この“空気抜き事件”は一夜にして、村中に知れ渡りました。しかしその後、村の人は誰一人として、私たちをとがめることも、白い目で見ることもしませんでした。
「黙(もく)、時に説(せつ)」(碧眼録)。時に、相手の過ちを叱ることなく黙っていることに説得力があり、心に響く、の意。わが子が悪さを働いた時に、本気で叱ることも親としての愛情の表現です。叱るか、黙って温かく見守るかの見極めは難しいもの。わが子が十二分に反省していると感じた場合や、親の感情が高ぶっている場合は、叱らないほうがいい効果を生みます。
小川健次(おがわ・けんじ)
1952年、常呂郡留辺蘂(るべしべ)町(現北見市)生まれ。68年から22年間、苫小牧に在住し、製紙機械の組み立て・修理や電気工事などに従事した。現在、神奈川県相模原市に本部を置く公益社団法人スコーレ家庭教育振興協会の理事・教育開発局長。生涯学習プログラムの開発、講師、カウンセラーなどを務める。子どもは社会人の一男(31歳)、二女(29歳と26歳)。