親の希望に添えない私は親不孝?
施設に入所した母のことで
【お悩み】:私は47歳の主婦で、実姉が1人います。
76歳の実母のことでご相談します。
母は数年前に脳梗塞で倒れ、左半身が不自由になりましたが、自分の用は足せますので、
心臓の悪い父と2人で暮らしていました。
近くに住む姉が何かと面倒を見てくれていましたので、私は父が入院するような時に、応援にいく程度でした。
1年ほど前から母に物忘れの症状が見られるようになり、徘徊も始まりました。
正常な時は何の支障もありませんが、一寸の隙にいなくなってしまう母を捜すのは、父にとっては大変なことです。
私たちのどちらかが同居できればいいのですが、無理な状況です。
両親・姉妹で話し合い、母が施設に入所し、一人暮らしになる父を、今までのように姉が通いで見るということになり、施設探しに奔走しました。
順番待ちですぐには難しいと言われましたが、運良く、新しくできたばかりの施設に入所することができました。
素晴らしい環境ですし、職員の方々の対応もとても良く、母も喜んでいましたので安心していました。
ところが「こんな所は嫌だ。私は死にたい」と母が叔父に手紙を出したのです。
親戚から「冷たい。家で面倒を見てやれ」と責められるようになりました。
近くにいる姉は精神的に参っていますし、父は入院しています。
どうしたら良いでしょうか。
【アドバイス】: 手紙を書き、できるだけ訪問を
高齢化社会に向けて国の施策が進んでいるとはいっても、まだまだ十分とは言えない現状ですから、親戚の意見もむげにできない面もあります。
が、経済基盤、住宅事情、家族状況等さまざまな検討をして、今の時点で最善と思われる結論を出されたのですから、周囲の意見に振り回されないことです。
お母さんもその辺りを十分に理解しての入所だったのでしょうが、
1人取り残されたような寂しさや体が自由にならない切なさ等、様々なマイナスの思いに満たされてしまうのでしょう。
愛を注ぐ対象や愛されている実感が目の前から消えてしまったことも一因かもしれませんね。
諸々の思いが叔父さんへの手紙となったのでしょう。
「死にたい」は「生きたい」の裏返しで、自分に目を向けて欲しい思いの表現です。
共に過ごした楽しい思い出やお母さんからしてもらった事に、感謝の言葉を添えて手紙を出しましょう。
過去のことであっても、その中に自分の存在価値を認められると、周囲への愛が芽生え、自分に出来ることが見つかるでしょう。
それが物忘れの症状を防ぎ、生きる力を生み出してくれます。
できるだけ時間をつくって、施設を訪問することも大切です。
顔を見、言葉を交わし、触れ合うことが何よりの栄養剤です。
お母さんの心が安定し、落ち着きが出れば、親戚の対応も変わってきます。
しばらくは、黙って頭を下げているのが良いでしょう。
近くに住むお姉さんは大変でしょうが、家族が一つになって乗り切って下さい。
【月刊「すこ~れ」248 号 〔すこ~れ相談室〕より】